疑問

裏と表が全く同じなら、裏表がないということになる。

わかりにくいのはいやだ。
みんなそうじゃないのかな。
表面にあらわさない
誰かの裏の気持ちをおもんばかったり、
他人の心情などというわからないことを
うじうじと考えて悩んだりするのはいやだ。
そんなことが日本の時代劇とか小説によくあるような
どろどろとした暗い世界を生み出して、
疑心暗鬼になったり、
根深い恨みにつながったりするのではないのだろうか。
素直な気持ちを本人が包み隠さず言ってくれれば、
それが一番簡単で、
みんなにとっていいのではないのだろうか。

そう思うようになってから
私は、こうやって生きているのに。
表も裏もないように。誰にでもわかるように。
悲劇の主人公を世に誕生させないように。
そして、自分も悲劇のヒロインを楽しまないように。
怒った時は怒って、楽しい時は笑う、
嬉しい時は全力で喜ぶし、
悲しい時や不安な時はそれを精一杯表す。

自分がそうしているうちに
みんながそうであることを求めていた。
でもそんな人ばかりじゃなかったんだ。
意外と身近なところまで。

でもそんなのは悲しくないだろうか。
自分の知らないその人の側面を見てしまったとき、
裏切られたような気持ちにならないだろうか。
どうしてだろう。なぜ裏をつくるのだろう。
もちろん状況判断で、
「今この場でこういう事はふさわしくないから差し控える」
とかそういうことはある。
そういう一時的なことを言っているのではない。
恒久的に裏をもつことをいっているのだ。

みんな他人の全てなんてみたくないものなのだろうか。
隠したり演じたりすることは
ある種のエチケットなのだろうか。

私はバカなのか。
私が変わるべきなのか。