人生の岐路に立ってるから、自己分析。

「人生とはどれだけ幸せになれるかをためす場所である」
みたいな言葉があります。
私の人生の下地となっている言葉です。
この考えは、
私の中奥深くまで浸透していて、
迷ったときに、いろんなことをクリアーにしてくれます。

しかし、誰の言葉だったか忘れてしまいました。
確かあいだみつお氏とかだったか…どうだったか…というところです。


人が生まれてきて死んでいくという繰り返しの中で、
個人の人生の目的として、
私はこれ以外考えられないと思います。


いやなことを我慢してやったり、
辛くても頑張ったり、
遊びたくても勉強したりするのは、
その先にある幸福を期待するからこそです。
その一時的苦痛を乗り越えた後、幸せになれることがわかっているからです。


誰かを喜ばせたいとか、
幸せにしたいとか思うのも、
その人が喜んだり、幸せになったりすることで、
自分が幸せを感じられるからです。


言い換えれば、
全ての苦痛は幸せを作るための起爆剤でなければなりません。
そうすると、
その先に進展のない、現状維持のための、保守的な我慢
(あまり)価値がない…という結論が今でました。


私にはセンスがあると思います。
気のむくままにお料理しても、結構おいしくできるし、
好奇心のままにやってみてうまくいくことが多いです。
ただしこのセンスは後天的なものです。
つまり、生まれつきではなく、
人生のなかで、何らかの形で培われました。
小学校4〜5年生くらいまでは、日常生活に支障をきたすほど激しく不器用でした。


私のセンスを創り上げた重要な要素は好奇心だと予想します。
これが、私の中に沢山のものを吸収させたのだと思います。
思えば私はとっても深刻な小学生でした。
無邪気ではありませんでした。
今は無邪気そうにみえる深刻な大人だと思います。
私みたいに好奇心旺盛な子供をまっすぐに育てるのはさぞかし大変だったことでしょう。
この場をかりて偉大な親に感謝しましょう。ありがとう。


そもそも私が興味を抱く物事のほとんどに、まわりの人たちは無関心です。
リアクションに温度差を感じることは日常茶飯事です。


例えば…
クリスマスの音楽が欲しくてCDみにいったら、
「Grandma Got Run Over By a Reindeer」
ていう曲名がジャケットにかいてあるのを見つけて、
クリスマスに向けて盛り上がっていた私にすごい衝撃を与えたことがありました。
「おばあちゃんがトナカイにひかれた」なんて
歌ってる場合じゃないよ、クリスマスに!不謹慎よ!
って思って、その曲が気になって気になって仕方がなくなって、
もっとよさそうなCDがあったのにあきらめて、そのCDを買うことにしました。


家にかえって早速CD聞いてみたら、
なんと、おばあちゃん、トナカイに引かれて死んじゃいましたよ。
クリスマスなのに・・・そんなこと陽気に歌っていていいの??
ビックリして、翌日以降、この話を色々な人にしましたが、
みんなのリアクションは人工的でした。
本当はとてもどうでもいい話だけど、
あからさまに反応が無いと、興奮しきっている私が哀れだから、驚いたふり…
みたいな感じのリアクションでした。
因みにこの曲、アメリカではもう長年クリスマスの定番ソングだそうです。


そういえば、カナダでホームステイしていた
Host FamilyのGrandmaが手相を見るのが趣味で、
私の手を見て言っていました。


私には能力があるって。
自分で学んで進んでいくことができるって。
私もそんな気がします。
自分を信じて、おそれずに行きましょう。
安全な殻に閉じこもらなくてもきっと大丈夫です。


2007年2月18日現在、そういう結論になりました

いかがでしょう。